このブログには相応しくない内容かもしれませんが、数日前に愛犬を亡くしました。
まだまだ平均寿命には満たない年齢でしたが、心臓の弁膜症の診断を受け、半年ほど薬を飲みながら病気の悪化ペースを遅らせていたところ、突如自己免疫性溶血性貧血という自分で自分の赤血球を破壊してしまう病気になり、あっという間に亡くなってしまいました。
私にとって、愛犬は心の支えでしたので、いきなり大切な存在を失ってしまい、ショックと悲しみと寂しさでいっぱいです。
今でも悲しみに溢れてはいるものの、人間の感情というのは面白いもので、毎日毎日違う感情を抱いております。もし、愛犬を亡くしてしまった同じような境遇の方がいらっしゃいましたら、少しでも参考になると思いましたので、こちらで紹介させていただきます。
- 愛犬を亡くす瞬間
愛犬を亡くす瞬間に思ったことは、「早く楽になっていいよ、頑張らなくて良いよ」という気持ちでした。水を飲もうとしたり、寝返りを打とうとしたりと、頑張ろう、生きようという気持ちと相反して、体は死への準備を進めているようでした。その姿はとてもかわいそうで、痛々しく、私たちが一緒にいるからもう頑張らなくて良いよ。ありがとうね。大好きだよ。そんな声をかけておりました。最後、心臓が止まったその瞬間には、楽になったね。よかったね。そんな感情まで湧いてきました。
- 愛犬を亡くした直後
愛犬を亡くした直後は、死というものへの衝撃を強く感じました。幸い愛犬を看取ることができましたが、やはり命がなくなっていく瞬間は言葉に表されない程、恐怖と衝撃がありました。それとともに、愛犬の体が1時間おきに変わっていく様子を見て、着々と死の準備を進めていく過程をみることができ、不謹慎かもしれませんが、動物の体は死ぬことさえ、プログラミングされているのであると改めて感じ、愛犬を亡くした直後はわたしたち生き物の尊さを改めて実感しました。
- 愛犬を亡くした翌日
愛犬を亡くした日は、愛犬が亡くなった瞬間の映像が頭から離れず、ほぼ眠れませんでした。それでも、愛犬と過ごす最後の1日を少しでも無駄にしたくなかったので、早めに起きました。その日の午後には愛犬は火葬のため家を出発しなければなりませんので、それまでの間、愛犬を見るたび、愛犬の話をするたび、涙が止まりませんでした。これは、昨日まではここで生きていた愛犬がもう死んでしまったことによる喪失感と、これから火葬に出発してしまって本当に本当に会えるのは最後なのだという寂しさの感情でした。
- 愛犬を亡くして二日後
この日は愛犬を亡くしてから、日常生活に戻った1日目になりますので、家事をしたり仕事をしたりしていても、いつもだったら走って迎えに来てくれた・・・いつもだったらしっぽを振って喜んでくれた・・・というようなわたしの生活の中に染み込んだ愛犬の存在を実感し、また涙をしてしまいました。それでも、外を見て空を見れば、きっとお空の上で元気に走っているのだろうと思えたり、愛犬がわたしたちに与えてくれた幸せの多さに感謝をしたり、少しだけ前向きな感情を持てるようになりました。
- 愛犬を亡くして数日たった今
今でも愛犬を思って、涙する瞬間は多々ありますが、涙し泣いたその直後には、感謝や最後まで生き抜いた愛犬への尊敬(最後までかっこいい死に方だったぜ!)等、悲しみや寂しさと同時に前向きな考えを持てるようになりました。もちろん、それは強がりで、本音を言えば、また会いたいし戻ってきてほしいと思いますが、それでも、現実を受け止めつつある自分にもまた驚いています。人間の感情は不思議なものです。もちろんまだまだ、愛犬ロスであり、これからも愛犬ロスは続くでしょう。でも、愛犬と過ごした思い出は消えることはないし、愛犬が与えてくれた幸せはなかったことにならないと言い聞かせながら、愛犬に恥じない生き方をしていきたいと思います。